荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

twitterとテレパス

どうにも生活習慣がグチャグチャだったので、twitterSNSと携帯(の中の他者とつながる機能)を一日オフにした。

驚くことに、一日でいままで何をやろうと改善しなかったしぶとい生活習慣が改善した。精神病のようなものではなさそうだとうすうす勘づいていたが、その割に「どうにもならない」理由がわからず、正直お手上げで困っていたが、どうやらスマホは正解だったらしい。

 

また、スマホの電波やブルーライトが駄目だったのかといえば、その実、寝る前にいくつかアプリは使っていたが、それ自体に影響はなかったようなので、光や電磁波そのものはあまり関係がないらしい。なんとなくだらだら続けているオフラインの◎×クイズらしい学習系アプリだ。どうやら自分はその刺激をスマホゲームと類似したようなものと認識しているらしい。


そこから推測できたのは、どうやら「人とつながっている」刺激が駄目だったらしい、ということだ。

 

別に何をするでもない、画面の向こうに人間がいる、その気配を察知する、そのこと自体が自分にとってものすごいストレスを与える負荷のもとになっていたらしいのだ。以前、会社組織に就労していた時代(今はフリーなので)周りのデスクに人間がいること自体がストレスだった。喫茶店などでは全員知らない人だからまだいいが、組織に所属していると、「ある程度の顔見知り」が隣のスペースに所狭しと座っているわけである、自分にはそのこと自体がストレスだった。そういえばそうだった。

 

しかし、まさか、物理的にこれほど離れたオンラインの空間ですら、人の気配を察知し、ストレスを認識していたのは意外だった。

書籍を読むことは、過去の人間との対話だから良い、と思っていたが、ただの書物を読むことすら対話と認知してしまうレベルの過剰な想像力、リアリティを感じる能力を、リアルタイムの現実の人間の思考の断片の狭間に置いておくのは、いささか困難なことだったのかもしれない。単純に、リアルタイムの、現場にいる人たちの、ノンフィクションを読み続けるのは、ちょっと自分には刺激が強すぎたらしい。

 

そこで、話は飛躍するが、テレパスということについて、どうやら科学技術を用いて「脳内の思考をリアルタイムに他者と共有する」技術を真剣に開発しているらしきチームや団体がいるようだけれど、それが社会に適用された場合、どうなるだろうか。

ごへいを招くような言い回しではあるが、おそらく、「鈍い人しか生き残らなくなる」と思った。自分は幸か不幸か、人が見ていないようなところまで観察していることがあるし、人がそこまで気にしていないような情報まで追う癖があったり、人がそこまで覚えていないようなことまで記憶する癖があり、またその結果人が考えていないようなことまで考えたりすることがあり、それはいい結果をもたらすこともあるが、その反面、「余計なことを気づく(気づかないでいい余計な面を見ている)」「余計な情報を覚えてしまう」「余計なことを考えている」ことでもある。つまり、長所は同時に短所でもあるのだ。

HSS/HSPだか、ギフテッド(非発達障害系)とか多分そのへん。これは自分で勝手に思っているだけだけど、多分そう。

で、そういう性向というか気質の人間からすると、スマホSNS程度のライトな「脳内思考伝達装置(テレパス装置)」ですら、これだけ疲弊してしまうのだ。ということが分かった。

 

まあ、大したことではないんだけれど、技術の過剰な進歩は人を幸福にするとは限らないよね、って話。