荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

気づかぬうちに「所有すること」を忘れていた

Web経由のオンラインストリーミングサービス。SpotifyAmazon Music ……様々なアーティストの曲がワンクリックで聞けて便利だ。

そのことにすっかり慣れてしまっていた自分に最近気づく。

昔はCDという媒体で読み込んでいたはずだ。もっと昔はラジカセか。

それまで、街頭で音楽を奏でるミュージシャンの演奏物だった「音楽」は、あるときから、記録媒体に記録された音源という形で商品として市場に流通し始め、ラジカセやMD、8cmCD、そしてCDという形で人々に販売され、「所有されるもの」になった。それが二十世紀の後半に社会に起きた変化の話。

そして、二十一世紀前半にまた音楽を取り巻く環境の構造が変わった。

ある時から人々は音楽を「所有する」ということを捨てた。そして、捨てたことにすら気づかないまま物の所有という概念自体を捨てていた。

 

これは、音楽に限って起きたことなんだろうか。

今後は、音楽以外にも所有することを喪失する現象が起こりうるのではないだろうか、とも。