荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

資本主義におけるAI活用の目的地を先に合議的に決めておいた方がいいと思った話

ちょっといろいろあって、いまAI(※1)と芸術の融合みたいなことの前線近くにいるんですけど、興味深い事実を知っていろいろ発見があったので、ちょっとばかりシェアします。

めっちゃ長くなったんで要約を先に書いておきます。

 

《本記事の要約》

AI利用の最前線を見てきました。

1)クリエイティブ業のうち、コストの関係から優先的に置き換わるのは『0→1』を作る分野。アイデアを出すといった「考える」機能が代替される。

2)クリエイティブ分野において人間の想像をリアルタイムで成果物としてアウトプットする技術が普及したら、つぎは、人間より速いスピードで計算するAIの考えたものをアウトプットして売ることが開発目標になる。AIの本格利用は、経済活動の目的地自体が変え、その立ち居地が補助的なツールでは留まらない。商用プロダクトにおいて、人間のクリエイターのどこかの作業が置き換わるというよりは、人間のクリエイターに制作依頼することが不要(スピード的に遅すぎて不可能)になる。

 

まとめていうと、
「AIはクリエイターの夢を実現するツールではなく、資本家の夢を実現するツール」

 

提案:今の形の社会を持続することを目指すのなら、AI利用にどこかしら歯止めを効かせるための国際協定を作っておいた方がいい。あるいは、社会の変容をそのまま追認する姿勢をとるのなら、人間というものの認識を変え、「人間というのは大変高貴で何に優先しても守るべき誇るべき生命体」ぐらいの、人間の尊厳と喜びがないがしろにされないための世界的な共通認識項を合意・形成しておいた方がいい。

 

  

最前線に迫る現場を見るまでは、自分の中でのAI利用のイメージは楽観的なものでした。

「人間が想像したものをリアルタイプにアウトプットして形にしてくれることを最終的な目標としている便利ツール」

というのがアート分野におけるAI活用の最終目標なんだろうと無邪気に思い込んでいました。


しかし、実際は違いました。

じっさいはこのような方向でAIの活用がすすめられています。

 

1)クリエイティブ業のうち、人件費のかかる分野の置き換えをするAIが優先的に開発が進められている。つまり、置き換わるのは『0→1』を作る分野。大まかな枠やアイデアブレインストーミングとして出す役割が置き換えられつつある。一方、仕上やディテールなどの人間っぽさを付加する部分は、生命科学研究分野の知識を組み入れる必要があるため比較的開発コストが高く、優先順位的にも後回しにされており、クリエイターの手作業での作業が残ることが多い。

2)AIの利用は目的地自体を変えうる(補助的なツールでは留まらない)
いまはまだ、人間の想像をリアルタイムに実現する段階までは到達していないので、今の所は「人間の空想した世界をすぐに、なるべくよりよい精度で、素早くアウトプットする」ということが目標に掲げられることが多いです。
しかし、そこは最終目的ではなく途中の通過点、通過目標に過ぎなかったということを知りました。
人間が物量的に思いつけるアイデアをリアルタイムでアウトプットすることは最終目的ではなく、その先に行くのです。

 

つまり、世界の最前線の目標設定の仕方を見るに、人間の都合より、多くの利益をあげる方が最優先になっているのです。そのため、人間の空想と同じ速度でアウトプットが作れるようになったらその次は、人間に出来ない速度で人間よりも物量をだすということに目的が置き換わっているということを知りました。

人間が10秒分の映像のコンテを書くには、どんなに速くても10秒分の映像を頭にイメージする時間が必要なので、10秒+絵や指示を描く時間がかかります。

(もちろん、慣れで機械的に決めていく方法は有りますが…)

しかし、AIを使うと、ワンクリックで10秒分の映像の設計図を何パターンも出力することが可能です。まさに上記の、人間が自身の体験から集約させた機械的に組む方法というノウハウを組み込むことで、ぱっと意味が通るぐらいの映像の流れぐらいだったらすぐに作れてしまうのです。

そういうわけで、「意味を伝える映像」ぐらいの映像の場合、人間が指示を出すことなく、機械で自動にアウトプットすれば十分実用に達しうるというところまで来ていました。

そうなった場合、目標はどうなるかというと、アウトプットの遅い人間ではなく、はるかに提案速度の速い機械に多くの指示を任せ、「目標自体の物量上限を上げる」ということが起きています。経済的には合理的だと思います。収益を上げるという観点からすると、足かせとなる人間の思考速度に合わせている義理はないわけですから。

 

エンターテイメントの場合、自動運転や医療、流通を担うシステム会社等と違って、その指示が仮に不適切だったとしてもユーザーに損害を与えることは有りません。ですから、指示を出す側が「責任をとる」ということができない機械だったとしても比較的問題が軽微に納まる業種です。そのため、人間と置き換えた場合の責任周りのリスクも軽く、導入がしやすいという事情もあるかもしれません。

いちおうクリエイターの端くれとして、「考える」「アイデアを出す」といった部分から機械に置き換えられつつあるというリアルを知ったとき結構驚きました。

 

今は「上限をこのぐらいの物量まで抑えましょう」という国際協定がないので、クリエイティブの最前線では「より大量の物量の成果物を、よりリアリティの感じられるクオリティで出したら価値」というルールで「代理戦争」をしているということを知りました。国際スポーツのような感じの「代理戦争」です。

スポーツと違って、そこにはルールがありませんので、その場合どうやったら成果を上げられるかといえば、人間をリストラし、疲れを知らず、計算速度では純粋に人間よりも速い機械に代用させるといったほうが物量という意味では成果が上がりますよね、という発想の地続き上でそういった物量競争は行われるんだなあと思いました。

 

まとめていうと、
「AIはクリエイターの夢を実現するツールではなく、資本家の夢を実現するツール」である、ということです。

 

何でそんなに精度がいいの?

「AIの思考手順」の部分にベテラン(人間)のノウハウが組み込まれはじめているからです。優れた開発者だけではクリエイターの作るような作品の模倣まではいけませんが、そこに助言する優れたクリエイターが発生したときに、クリエイター並の演出ノウハウを持ったAIが爆誕します。

 

これは、styleganみたいな絵の自動生成系のアウトプット等を見たときにも思ったことなんですけど、何か既に発表されている作品に対して、人間が模倣した作品を販売すると法律違反になることがありますが(※2)、たとえ著名な作品でも機械の学習データベースにするぶんには法律違反にならないという、その状態が野放しにされているのはどうなんだろうなあとは思っていました。…いましたが、あまりそこに問題提起している人を見かけなかったのであまり口には出してはいませんでした。そして、そこも不思議ではありました。

現実は仮面ライダーゼロワンの明るい未来像よりも容赦がなかった。

仮面ライダーゼロワンでは、人間と同じように漫画が描けるようになったAI(ヒューマギア)にアシスタントをさせるうち、「読者も気付いていないようだし自分が描かなくてもいいじゃないか」と、やる気を失ってしまう漫画家の姿が問題提起としてあげられていました。作中ではこの問題はどのように解決したかといえば、AIは背景アシスタントを行うにとどめ、漫画家自身が再び絵やお話を書くという終わり方をしていました。フィクションで提示される「AIとクリエイティブの共存」はこうでした。
いっぽう今、現実でのクリエイティブ産業の最前線で何が起こっているかといえば、漫画で言えばプロットまで人間が描いて、それを機械に読み込ませると自動でコマワリ案がぱーっと提案されて、それのうちよさそうなのを人間が選んで作画する、ということが起こり始めています。(念のために言うと漫画の分野ではないです)


日本が最前線をいっていて、分業化や機械化が遅れており、今で個人のマンパワーに頼っている漫画産業ですが、逆にいうと、日本が主導権をもち、作家の手作業ベースに拘っている漫画産業だからこそ、まだこのような憂き目にあうのを逃れていられるんだろうなあ、とも思いました。

 

最後にも似たような話題を書きましたが、自分はクリエイターでもあり、なんか俯瞰しているようでもあり、という気質なので、これをいいことと捉えるか残念なことと捉えるかは好悪が付けがたい感じであります。

人間クリエイターが人間という能力の限界という理由で、クリエイティブ業界からリストラされていくのは悲しいことではありますが、人間が想像できるよりはるかに高速で、物量的に大量の作品が供給されうるということは、コンテンツのファンからすると夢も希望もある未来ではあります。

 

アーサー=C=クラークの描く80億年後の未来像ですら、個々人がアート活動をし、そのアート活動を別の人が享受するという形のエンターテイメントが提示されていたのですが、現実においては人間が作らないアートを人間が享受するという世界が提示され始めました。それはいいことなのか、わるいことなのか、どうその波を乗りこなしていけばいいか、考えるべき、対応するべき、対策するべきことは一杯ありそうですね。

 

これらを踏まえて思ったことのは─────

僕の今の段階での提案はこうです。

第一次世界大戦を経て、いろいろな国際協定が生まれたり、ツール(当時でいうと軍事に転用できうる機械技術)の利用方法を制限しようという発想が生まれ、合意がなされるようになりました。
つまり、当時は大戦による大量の人的被害が起こる前に、その事態をあらかじめ想像力をもって防ぐことができなかったわけです。
今このままだと、そういう事態の二の舞というか三の舞いといいますか、AIによってちょっと大変なことが起きうるなという気がしてきました。ですので、これは先手を打って、当時でいう「大戦後の軍事兵器技術の利用制限とかの国際規約」みたいな、「国際協定のAI版」をあらかじめ考えておいた方がいいんじゃないかと言う気がしました。体感です。

 

あるいは、社会の変容をそのまま追認する姿勢をとるのなら、社会における人間というものの認識を変え、「人間というのは大変高貴で何に優先しても守るべき誇るべき生命体」ぐらいの「めちゃ尊いもの、神さま!」ぐらいの扱いにしておいた方がいいんじゃないでしょうか。

なんか、機械の方からすると、人間のできることって、「有機的なしなやかな動きは得意で柔軟さはあるけど、それ以外は、計算が遅くて思考が遅くてアウトプットも遅くて判断も感情とかよくわからんものが邪魔をして合理的な判断も迅速に行えず、仕事作業ができるか目線でいえばポンコツな生き物」ぐらいの認識になってしまうんじゃないかなーという気がしました。可愛くない猫みたいな。

自発的に「あれやりたい!これやりたい!」とか「これすき!(役に立たないけど)」とかそういう方向の感情ベースや個人の主観ベースの思考に関してはまだ人間に部があるなという感じがしますが、それ以外のちゃんと作業進めるとかノウハウにそって安定的にアウトプットするとかそういうのはかなりAIベースでも出来てしまう感じがしましたね。

 

これらは理系の大学院などの現場だと逆に気付かなかった感想です。なんでかというと研究開発って「こんな課題展をみつけました!問題提起します!」「えらいね!」みたいな価値観のコミュニティによって成り立ってる分野であり、これらは上記でいう主観ベースの行動であり、こういったことはAIは不得手だからです。AIは今まで全く問題にされていなかった分野に課題(つまり個人的主観による面白み)を見出す、つまり、今まで特に意味のなかったところに「意味を見出す(付与する)」ことには向きません。

そうではなく、同じ、「なかったものを作り出す」こととはいえ、だいたいの型が決まっていてそのとおりに作るということが得意なのです。
つまり、ある白紙の用紙があって、「あれこれこういうふうにやるといいよ」みたいなふわっとした職人のノウハウがあって、という場合なら、AIはそういったノウハウを教えてもらうことで、そのノウハウの基準から外れない範囲内で限定的に計算をすすめ、アウトプットを出すことができます。

 

なので、クリエイティブに限らず多くの分野で応用可能と思うので、人間の尊厳と喜びがないがしろにされかねないなあと感じます。それを防ぐために、世界的な共通認識項を合意し、形成しておいた方がいいんじゃないかとも思いました。

 

人間の作者が存在しない作品を楽しめるか

クリエイターは「描きたいもの、伝えたい世界」が自らのうちにある人が多いのではないかと思います。それを作品の形に落とし込んで表現し、そして人に伝えるんだ!という情熱の結果として作品を作っている人が大勢いるわけです。そして、世に出ている作品の数々もそのように作られているわけですが、商品として購入したり楽しんだりする側は必ずしもクリエイターの意図や世界を全部汲めているわけではありません。

というか、汲み取りたいが故に読んだり観たりするという人もいますが、多くの人は楽しみたいから作品に浸りたい、だから購入しようと思うんじゃないでしょうか。ようするにクリエイター側は国語の現代文の出題者側で、100点満点で読んでもらえてると期待しながら書くわけですが、別にお金を出して買ってる側が全員100点でなければいけないなんてことはないわけです。実際はぜんぜんだったりして、でも、だからこそ多くの人に楽しんでもらえてる側面があるわけで。

だから何がいいたいかというと別に購入側、視聴者は作品を制作している側に意志が有ろうとなかろうと、それが本当は見よう見真似によって作られたAIが全部作った作品であろうと、その「実は人間は携わっていません」という部分が伏せられている限りは全く問題がなく楽しめるんじゃないかと思うんです。

いまの法律では「人間の作者が存在しているかどうか」の提示義務はありませんので。

まあ、個人的には今後は「この作品は、人間が75パーセントのシナリオを考案しています」みたいな掲示義務があるといいかもと思いますね。「よかった、ちゃんと向こうに人はいるんだ」って思いますし。

 

ここまで読んでくださった皆様、長いのに読んでくださってありがとうございました。

 (以下は注釈です。)

 

(※1 AIって言葉を使うとぎゃくに胡散臭いイメージがするかもしれないですが、別にここで具体的なしくみとかそういう話をするつもりもなく、ふわっとしたイメージとしてのAIという語句で今回の意図としては十分なのでこの語句を使用しています。)

(※2 線が一致しているトレスのみでなく、デフォルメ系のキャラクターイラストにおいて、作風が酷似しているという理由で著作権違反になった判例も存在します。 参考:著作権で迷ったときに開く本 Q&A イラストレーターのための法律相談