荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

僕が個人的にトランスジェンダーについて知っていること

(過去の書置きの公開)

 

インターネットSNSの上のトランスジェンダーというものを見ていて思ったのだけれど、姿を全く想像できていないため妄想の上の相手と戦っている印象があって興味深いなという印象があった。

 

そこには、相手の姿を知らないがゆえのディスコミニュケーションというものを垣間見た。

 

たぶんトランス男性と目の前に対面して、同じことが言えるのか?というとおそらく逆のことを言うだろうなあと感じる。

「男トイレに行け、女湯に入る?正気じゃない、怖い!!」

と。

 

実のところ僕自身もトランス男性というものを長らく誤認していたのだけれど、実際に二丁目に覗きに行って把握したのはトランス男性は普通の男と何ら変わりのない容姿と声をしている人たちなのだということだった。というか、あれをみたあともしかしたら〇〇や〇〇〇も…?まさかね…?という考えがよぎるようになった。そのぐらいよくいるタイプの男だった。

 

相手の姿が知られないがゆえのコミニュケーションと出会いのようなものがあったけれど、世の中には逆の現象も生じるんだなーという感じ。

 

興味深いのは、「自分が認識している相手の姿自体が間違っている」ということを言われても言っている当人は気づかないということ。つまり認識を改めることができない。

 

おそらくこんなものは現実の飲み屋に引きずり出せば、あるいは、リモートのzoomでも何でも相手の姿かたちを見てリアルタイムにコミニュケーションをすれば一発で解決するような問題だと思った。それをSNS上の言葉のみでやり取りをするあまり、延々と「議論」してしまっていることが非常に興味深いなあと思う。

 

中国の女子選手にどう見ても男が混じってる!というのが問題になっていたけれど、あれは元女でおそらく戸籍女なタイプなんだろうなーと思った。どう見ても男!になってしまうのであり、そのことを知らないが故に、「トランス男性が女子枠に参加している」という現状をみて「トランス女性を女子枠から排除を」と言ってしまうのは面白いなと思った。

 

 

別に男が全員女を見かけたら襲うようないきものじゃなくて、そういう人はごく一部だし、さらにいうと大半のまともな男の目のある監視のある環境下ではそのようなことは起こらない。だから価値観が同質的で犯罪的な男性集団でない限り危険はそもそもないのだけれど、そのあたりの感覚や視点がないが故極端なことばかりを言っているのだと思う。