荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

深度について_追記

なんか個々のブログにも一瞬載せて、まあ多くの人に忘れ去られてると思うんですが、某アニメを企図して作っていまして、さすがにそろそろ仕上げまで片づけたいんですが、なんですかね、当時の自分はこれ一本でやっていく、これは成功作だと思っていたんですが、今おおむねできてきたものを考えるにこれは失敗作だと感じるんですよね。

自分のいいところなのかよくないところなのか、ちょっと作家としては変わっているところの人等として、利害でしか考えないところがありまして、その損得勘定と利害関係で考える限り、これは失敗作だから構っていてもしょうがないという感想がここ数年否定できない感想としてありました。

当初の自分に決めていた期日は普通に間に合わずに落としたんですが、しかし別に落としたからとして没にする類のものでもなく、そのスケジュール期日自体がそもそも世間的にはかなり無謀の域だったので別に自分が無能だったわけでもダメだったわけでもなんでもないのですが、しかしけじめとして((自分が自分で設定した)納期に間に合わず)失敗したものだから失敗作だという感想はありました。

 

しかしそういうものと違って、なんかこう、やっぱり本来の「成功納期」は自分で引いたそのラインだったんじゃないかと思うことが最近多いんですよね。

というのも、その本来の成功納期から一年後頃に次の作品を作り初めまして、どうやらそれが自分にとっての「アタリ」だったことが確信に至りつつあります。つまり、これが最初で最後の成功作品であり、このシリーズで10年やっていくと信じて疑わなったそちらの作品は自分にとっての代表作としての成功作品ではなく、それは成功につながるための仮定になる礎作品だったということ。まさかの。これはかなり予想外でした。もちろん企図したときは全く想像できていなかった。つまり未来なんてものは空白地点でよくて、そのときに決めた近い将来のそのときへのベストを尽くせばよいということなんだよな。

とかいうことを最近よく思うわけです。

 

作風をひっくり返した裏のようなものが自分が得意でかつ真の需要があり、それは当初描いていたものとは全く別だったという感じ。幸か不幸か、「君にはそういう方が向いているはず」と見抜く慧眼の指導者はいなかった(申し訳ないがこれについては好き嫌い以前にかなり世間の言う「ふつう」の波によって妨害されたのでかなり選択肢として取りづらかったということはある)。指導者ではないが正直それを見抜いた人物はいたが当時の自分はあまり真にうけてはいなかった。

なので自分で試行錯誤するしかなく、その間に時間がたってしまったというのはあるけど、だとするとやはりこの作品は過去のものとして収まるところにきっちり収めるためにやはり最初の約束は果たして意味を感じていなくとも完成&公開にはもっていくべきではあるんだろうなあ。

 

深度と何が関係あるのかっていえば要するに内容とぱっと見のビジュアルの雰囲気を寄せ始めたっていうことです。絵柄だけでなくモチーフそのものも誰が見ても硬派という形の方が「良い」んだろうな、と。わからねえ。