荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

絵とツールについて

自分は3DCGであたりとったものは自分は絵ではなくグラフィック制作物と認識してる原理主義者なので、そもそも既存の絵とされるものの多くは絵だと認識してないんですよね。 自分のアニメのスクショも絵だと認識してないです。絵ではなくグラフィックという名前を付けて認識しています。 あと背景ブラシ素材そのまま貼り付けたり、3DCG自分でモデリングしてないやつは人の借物じゃんって思ってるんですが、それ言うと敵作るので言わない感じです 最近は原理主義者を極めて背景建築風景含め紙と鉛筆定規なしで描く練習を実は裏で毎日やってますが、ある程度描けるようになってくると背景3Dとかに頼ってる人も全員手抜き、クリスタのパース定規使ってるのも手抜き、手抜き手抜き!っていう風に見えてくるので感覚の変化が逆に面白いです。

デジタルのパースグリッドに沿って線を引いて空間を作ることで、その空間に対する理解ができてなくても空間が出現してしまうので、あんまりわかってない(深く考えてない)けど見れるものが充分出来てしまうという意味ではML生成絵と似ている部分もある気はしています。(原理主義者並み感)
この感覚は逆に紙と鉛筆でパースグリッドを作っていき、その上に立体物を置いていく練習をしないと気がつかなかった感覚ではあるので、おそらく多くの方の共感は得辛い感覚かなとは思っています。