荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

某実写映画からみる表現の自由について

いま、巷で話題になっている?単館系の低予算っぽい雰囲気の商業映画につきまして、ちょっと思うこと、そして解決策として提案したいことがあったので記事を書きます

人を傷つけかねない表現は「市民の声」なり「当事者の声」なり「公権力による圧力」によって公開停止をするべきか?ということについて、たいへん興味深い話題だなと思いました。

 

まずはじめに。

バイバイ、ヴァンプという映画について、僕は予告編も見ていません。

予告編を見ていなくて視聴した人のレビューから推測した内容のみで書かれている記事ですのであしからず。

 

 結論からすると、「公開停止はしなくていい」ただし、「この映画には差別的表現が含まれています、その差別的表現を架空(フィクション)のものとして現実として切り分けて楽しめる人だけが閲覧出来ます」という新レーティングを設定して、その基準をクリアできない人は娯楽として楽しめないように住み分けたらいいのではないでしょうか。
というか、おそらく昔だったらこの規模のアングラ風の上映である時点で、そういう住み分けは出来ていたかと思うのですが、今は白日のもと、インターネットによってそういった薄暗い溝(どぶ)のようなものも曝されてしまうシステムになっていますので、旧来のやり方が通用しなくなってきたのではないでしょうかね。

本来のR18Gの文面にはその意図が含まれているかもしれませんが、今回は映倫は全年齢向けとして通してしまっているので、そのあたりのレーティング感は事実無根という事でしょう。

これは、高校生ぐらいの学生さんがみて例えば(規模的にはありえませんが)クラスで流行っていたりすると、たとえばその場にいたクローズドな当事者からしたら、かなり厳しいものがあるなというのが個人的見解ですので、「健全」ではないと思うんですね。

ただ、過激な表現や政治的に正しくない、倫理的に道義にもとる表現をするのがいけないことかといえば、そういう表現はあってしかるべしとも思うので、

真に受けて、この価値観を無邪気に内面化しそうな人の視界には入らないようなレーティングなり住み分けを行ったらいいのではないかなあと思いました。

 

まあそんな感じです。それでは!