荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

twitterからの覚え書き

僕は極めて常識人なんですけど、ただ属性が極めて特殊なので、リアルだと周りが勝手にこういうものが好きでこういう性格だろうと勝手に決め付けた挙句それを前提にコミニュケーションをされて、いや貴方の認識間違ってるよと指摘するとキチガイと認定され石を投げられるのでうっすら社会が嫌いです。

「このぐらいなら外見や第一印象から勝手に決めても失礼に当たらない」という社会的合意のラインがありますが、僕の場合はそのラインよりはるかに手前で「それは失礼だ」という認識になるので、だからこそ極力他者と関わりたくありません。

 

なのでネットや文字ベースからスタートするコミニュケーション形態を得たとき、思ったより僕の認識する僕が僕自身だったというか、思ったよりこれはまがい物ではなく本物の意志を持った人格だったんだなという知見を得ました。制作作品の感想とか交流とかでもそうだったんですけど。

 

僕が責任を持って振舞える自分という自我と人格はこれだけれど、しかし、社会的正しさのためには、こうしなければ貴方は社会の構成員として振舞うことが許されないよ、少なくとも皆が喜ぶそのような扱いで喜びではなく怒りを感じるのは流石に困るからこちらにあわせてくれと社会は述べるわけですね。

 

なので本来の制作動機はこの腐った社会を焼き払うことだったわけなんですが、あまりにも長いこと負け続け、焼き払おうとする僕が間違っているんじゃないかという気がしてきたわけです。僕一人がどうにかなれば誰も困っていないので、そもそも焼き払おうとすることが悪なのではないかと。僕は悪では。

 

だからこそ素晴らしく皆様により受け入れていただけるような優しい世界観の温かいお話を書いていたわけですね。

 

 

 

 皆が苛めるから嫌いとか僕が嫌われるから嫌いとかじゃなくてどっちかといえばわりと無条件で好かれることが多いですが、それは皆様の妄想の産物の中で好かれているだけなので、それは妄想だよ本当はここれですというと、おかしいのでは?そんなことあるわけ、といわれるのでだから割と社会が嫌いです。

教科書の中ですらおかしいっていわれるレベルなんできっとおかしいんでしょうね。

僕の自由意志を頑なに認めないのは具体的な誰かではなく今現在の社会の基盤となる思想&科学的根拠等々…なので、僕が打破しなければいけない相手はそこだと思ってはいたのですが、それにしてもいろいろ上手くいかなすぎて困難だな~と思っている感じです。