荷内思考開発所

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AIが仕事を奪っていく時代、人間にしかできないこととして最後に残る職能は、「判断する者」としての機能であると思う

人間にしかできないこととして最後に残る職能は、「判断する者」としての機能であると思う。

この記事で書く内容を最初に実感を伴って自分が思い至ったのは今から3年以上前のことだった。当時、記事を書いたか書いてないか、詳細は覚えていないが、おそらく一番自分の中で「これだ」と確信していたことについては、書いていなかったはずだ。

明瞭に覚えているのは、そのあと勤めたゲーム会社において、「やはり最先端ではそうなっていたのだな」という実感を得て、ある記事を投稿した。次の内容である。

niiuchi.hatenablog.com

 

これは、ゲーム会社に入って初めて知ったアイデアではなく、もともと、「おそらくそうであろう」と考えていたことではあった。そのことは記事にもあるはずであると思われる。

そこではあまり明記していないが、自分が最も先立って実感を持ったのは、労働において人間に残された最後の人間にしかできない仕事は「主体的に判断をする」ことになるということだった。

 

このことについてあまり当時は詳細につづっていなかったのは、一つはそういう未来予測を立ててしまうことによって、人間の尊厳の保たれたよりよい未来が訪れうる機会を奪おうとするような発言をあえて自分がするのはそこまで気が進むことではなかった、ということ、もう一つは、当時の社会の機運が熟しておらず、そのときにそのことを指し示しても何を言っているのかイマイチぴんと来ないと感じる人が多いであろうと思っていたということもある。

 

さて、話を戻そう。

現在の勤労におけるベースラインとしての価値観、つまり、「アウトプット(生産性/生産量)」を最大限に出力することで、何らかの生産物を生産し、その作られたものを需要のある所に販売し、売買したお金をもって各々の人々の生活資金に還元していく、という価値観において、ほとんどの機能は機械が代替できる……どころか、機械の方が人間より高精度に需要に合ったプロダクトを高速でアウトプットができるようになってしまうため、人間に頼らないとできないことがほとんどなくなってしまうのではないか、という懸念を表明する人がいる。一方、そのようなことはない、機械化が進んでも人々は新たな仕事を見つけられるだろう、という楽観的な意見を持つ人もいる。

 

自分の見立ては、前者の意見に近い。

もちろん、後者のように、新たな仕事へ移行していくことはできるとは思うが、それには世代交代が必要なのではなかろうか。

世代交代が完了するまでの間、もし今のような形で、機械倫理に規制をかけずに「富と物々交換」を基軸にした、資本主義的な思想を維持したまま技術進歩のペースを下げずに突っ切るのであれば、いずれ、機械より能率が悪くて機械に置き換えられる人間が増えてくるであろう。

 

この価値観を維持したうえで、仕事において、人間にしかできない主体的な価値として最後に残されるのは「主体的に判断をする」機能であるだろう。

 

例を挙げよう。

まず最初に、AIに下記の絵を描いてもらった(図1)。

さいきんのAIは絵を大変うまく描いてくれるので、このぐらいの絵だと一発で「描いて」くれる。絵描きの端くれとして、ボタン一発で生成することを「描いて」と表現されるのはたまったことではない気もするのだが、致し方ない。とりあえず本記事では、わかりやすさのために「描いて」もらったという表現を、ひきつづきとることとしよう。

 

AI自動生成画像例1

(図1)AI自動生成画像例1

 

 

一見、どれもよさそうに見えるが、実際この絵をアイコン等の商品として流用することを考えると、このままで使える部分はあまりない。

まず、頭部と顔のバランスの身に注目し、ぱっと見で顔のバランスが崩れているものを探して分別していこう。

 

下記の図2では、顔のバランスが崩れていて、一目で違和感があるものを赤い角丸で囲んだ(図2)。中段のものは、印象としてはかわいらしい画、左右の目の大きさが異なり、特に、「手前側の」目のアイラインが太くなっており小さい印象を与えているので、西洋の遠近法と逆の感覚を感じさせる絵なので、今回は除外案とした。(※余談であるが、江戸時代の浮世絵は手前の方が小さくなるという逆遠近法で演出するという手法が一般的に流通していたので、広い意味では手前が小さくなるのも間違った絵の表現ではない)

これらを候補案から除外していく。

 

AI自動生成画像例1-赤

(図2)AI自動生成画像例1-赤

同じように、次の例では、そこまでおおきな違和感は与えない者の、目の左右の大きさや後頭部の欠けなど、少々の崩れがあるものを、追加で黄色い角丸の枠でピックアップした(図3)。

おそらく、学習元の絵の点数が少なかったことが原因なのではないかと思われるが、今回の絵では、左右の目の形状が同じではなく、(キャラクターにとっての)左目の形が小さく再現され、ハイライトが抜ける傾向があるようだ。

好みに応じて、これらも、候補案から除外していく。

 

 

AI自動生成画像例1-黄色

(図3)AI自動生成画像例1-黄色

 

 

次に、青丸で、形状の崩れの少ない採用案を提示した(図4)。右下の囲っていないものについては、現状では左目のハイライトが入っていない状態では違和感を感じるが、

人力等でのちほどハイライトを描き足して、目の色を左右で合わせれば、おそらく違和感は減るだろうということで、現状、「積極的に除外するほどでもない」候補案とした。

 

 

AI自動生成画像例1-青

(図4)AI自動生成画像例1-青

 

 

次は、顔のバランス以外で人力で修正をした方がいい箇所についてである。

 

次の図では、いったん、さっきの赤~青丸を消して緑の丸で気になる部分を囲った(図5)。

左上は後頭部が平らになっていることである。実際の人間の場合は、いろんな形の頭部の形状の人がいるので、必ずしも間違っているわけではないが、二次元の理想像を描く分野においては、丸く球状になっていることが正しいとされる。

この、「正しさ」というのは、多分に文化的な側面を含むことであり、絶対的なものではない。(なにせハート形の後頭部の文化圏の人々もいたぐらいなので)

 

左下、右下は、肩、首の形状が露骨におかしいので、ここは何らかの形(パラメーターの修正等あるいは、画像編集ソフトウェア上での編集、あるいは、人力の手描きによる描きなおし等)で追加修正が必須である。

 

AI自動生成画像例1-緑

(図5)AI自動生成画像例1-緑

 

次に、先ほどは挙げなかった部分についてもみていく。骨格の左右の対称性である。

該当部分を黄緑で囲った(図6)。

人間の絵師だったらまずやらないことだが、AIが生成したこの絵においては、肩の方がわだけ見るとそこまで違和感がないが、左右で肩幅や身の厚みや骨格感が異なるという部分が多々、見られる。

このような部分も、これらの絵をベースに実用に使う場合は、どちらかに合わせる、あるいはリデザインをする、などして修正が必要であるだろう。

 

AI自動生成画像例1-黄緑

(図6)AI自動生成画像例1-黄緑

 

ここからは針小棒大な話になる。

 

追加で線の曲率の丸み等が変であるために、変な突起物の印象を与えてしまっているようなところをピックアップした。(図7)

曲率というのは、中学生の数学で習った変化率(線の傾き)を微分したものであり、ようするに二回微分の示すものである。これらの数字が具体的にいくらか、という数値的な直観を常に働かせられる人は多くはないと思うが、あるところに、同じ右向きのカーブを描いている二つの線があったとして、片方は緩く丸い感じ、片方は一部分がシャープにカクっと曲がっている感じ、という線について、人間の目は瞬時に印象としてその差異を的確に認識できる能力を持っているのである。

 

そのような、実用レベルのプロダクトをリリースする際には、機械の計算ミスによる違和感を人間の直感で取り除いていく作業が必要になってくる。たぶんどの分野でも興行っぽいところだったらだいたい同じだと思う。

 

AI自動生成画像例1-紫

(図7)AI自動生成画像例1-紫

 

このような過程で、一見機会が出力したそれっぽいものを、人間にとって違和感がないと感じられるようなものまでブラシュアップしていく、という作業が、人間にしかできない、最後の仕事の一つになっていくのではないだろうか。

 

余談だけれども、今回は服飾については触れなかった。まさに、服飾や装飾、髪型メイク等々……目まぐるしく変わる人間の文化の文脈における「良さ」を理解し、それを的確に落とし込み、「良さ」を仕上げていく、その作業がとても人間らしくて、人間にしかできない仕事、になってくるのだろうと思われる。

 

 

まあこんな感じです。