荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

レベルアップとともに、また変わってきた、見渡せるようになった水平線の姿

また見渡せる世界が変わってきた。
という感じ。


「創作意欲がなくなった」というより、世界への期待が無に達したという感じが近いかもですね。

 

 

誰かのためでなくただ作品を作って公開するということが難しくなってきた。
あくまで個人的な内面の事情である。

 

作品を公開する地平線は結局この同じ社会なのだ。みる人も評価する人も感じる人も考える人も同じ、同じ人達であって、自分がまだみたこともないような唐突な価値観を持った誰かではなく、結局同じ人たちの間にいきわたる。同じ社会、同じ世界。

 

同じ顔ぶれに同じ幻影を見せるためだけにこんな回りくどい舞台の裏側で(自発的に)あくせくしなければいけないのかと思う。

ここで顔ぶれといったのは比喩的な意味であり、もちろん具体的な身近な誰かというわけではない。

作品を作るプロセス、想起するそのプロセス自体が厭になったわけではない。なぜかその「瞬間だけは」いつも高揚するし、楽しい、幻想に、別の時空に浸れる。

ただ、アウトプット先の世界の解像度が上がり、社会、そして社会を形成する人の集団として明瞭になってきた……つまり、”大人になった”……結果、アウトプット先の社会に対する無条件な期待を潜在的に抱けないようになってきた。

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お陰様で、「アウトプットをせざるを得ない状況」になってきたので、もちろんアウトプットは続けるけれど、以前のような、「作品を提出した先は未知の異界、どんな評価がされるかは未知数、ある種の好奇心を伴った高揚感を抱くような世界」は消失した、様な気がする。

レベルがアップしたということは喜ぶべきことなんだと思うよ。思おうな。