荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

二十前の自分へ

そろそろ二十代後半になって大人と呼んでもいい年齢の大人に差し掛かってきたので、過去の自分が思っていたことと現実で得た経験を照らし合わせて答え合わせのようなものを書いてみようと思う。

 

変わってないこと

 

1)世界はクソだ。というか僕という存在と世界という存在は対立する。 → その通りだ。現状僕を取り巻く世界の本質はなにも変わっちゃいない。思ったよりも、思ったよりも、全然。だ。

 

2)世界を牛耳る力でも得ない限りやっぱり僕の本質は世界と拮抗しうる。 → 残念ながら現状は世界を牛耳る力なんて微塵も手に入れちゃいないし何度もシャカイから遁走して迷走した。そして僕がぼんやりしている間に僕の本質を暗い闇に呑みこもうとする「悪気ない」「善意の」社会はなにもかわっちゃいないし、悲しいことにそれに身をすり潰して社会の型に合わせるようにいまだ僕は毎日要求されている側面がある。

 

3)僕は好きなこともやりたいことも出来ずいまだ燻っている → 同じく今現状燻っている

 

4)自己と自我を捨ててまで社会になじまなければいけない未来があるとしたら僕は自殺するべきだろうか。 → 残念ながら自己と自我を刷り合わせて生きるようにいまだ社会は要求してくるが、それに関しては、近いうち自己と自我の存在を世間に認めさせることが出来るであろう機会は来るだろうとは思っている。

 

思っていたよりクソだったこと

 

5)君はまだ知らなかっただろうが、多分24~25歳ぐらいかな、世界の支配構造とか軍産複合体とかそういうのの「現実の」構造に気付く。まあ、だからといってどうというわけじゃないんだけれども。思ったより社会っていうのは子供の小競り合いみたいな側面のあるもので、っていう。

 

6)まったくもって現状燻っている。さっきも書いたような気がするけど。

 

7)人に気に入られなければ生存できないという社会構造は本当だったと言うことが実証されつつある。しかし自分は本質的に異端(少なくともここの人間の人格を考慮せず、社会維持のためのシステムの構成員と考えた場合、自分自身の自己の核となるもの自体がエラー要素にあたる)なので、わかりやすく表面的な部分で人から気に入られることを目的とするならば、「自己を抹消してしまう」のがもっとも手っ取り早く確実な手段だ。まあつまるところ「僕に」そういうことを要求してくるこの社会のそういう側面に関しては「個人的な感想としては」実にクソだ!ということにしている。

 

驚いたこと

 

8)大人になったらつまらない人間になってしまうという畏怖 → 残念ながら君の中二病は何一つ変わっちゃいない。おめでとう。安心しろ。

あと想像力とかそういうのも大して変わってない。おめでとう。

 

よかったこと

 

9)絵が上手くなる。というか、絵で表現することを諦めないで自分の世界観を絵で表現することが可能なレベルだ。当時の自分からすると想像もできないぐらい。

 

10)君、自分で思ってたより全然体力ある。根性ある。その恵まれた身体能力には感謝してもいいぐらいだ。少なくとも同タイプの人類というカテゴリの中でははっきりいって飛びぬけて頑健な部類で、より「頑健なタイプの人類」と同じ基準の競争社会で自分の分野に関しては全然やっていけるタイプの身体能力を持ち合わせていることが判った。それは僥倖だ。

 

11)僕の書いたお話は面白い。それは自分だけの思い込みではなかったようだ、ということもわかりつつある。あと安定して何作も書ける。

 

12)能力的な意味で貴方に向いている適性のある仕事や職業自体は普通にあることがわかった。ただし、自分の場合は、自己の本質の根幹的な部分に、上記のような「シャカイと噛みあわせが悪い」側面があるためにどんな立ち居地になろうともこの社会で生きている限りは完全に心から満足した状態にはなりえない、ということもわかりつつありました。

(※念のため発達障害等ではないです)

 

 

ま、そんなかんじですねー。

まあ、なんていうか、決して悪いことばかりではなかったんですけど、「このままでは内面が溶け出して自己として死んでしまう」というのが創作意欲を駆り立てているような気はするような現状、でしたあ。