荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

何かについて強く考えたことはどこかに書かないと負債となる

日常において、ふと、何かについて強く感じ、思いを馳せ、考えたことはどこかに書かないとのちのちに精神的な負債となるなあと。

 

「まあその程度いいか…」という思いから日々の繁忙さに記録することを辞めてしまう、そのときはそのときでいいけれど、後々「確かこういうことを考えていた」と漠然と脳内の記憶スペースの一角をその思考と記憶と感情が喰って少し現実の今生きているもっと大事なことへの思考が鈍る感じがするんだよな。
……なので思ったより、考えたことを言語化して外に出したほうがいいのだと思った。

 

これは余談だけれど、普通の人の「無難な思考」「余計なことを言わない」感じが羨ましくて真似をしていたことがある。というか基本的にその感じで永らく過ごしている。しかし、その結果どうだろう、それは自分に合っている手法だったのだろうか。結局このように、まったく一般化されない俗人化された文章を書き、自分の脳内であふれんばかりの思考は収まる気配もない。いや、ある程度は収まっているのだが、こう、描き始めると止まらないというか、要するに「何も変わらない」。何も変われないのならもっと何者かであるべきで、さっさと小説家先生にでもなってしまうのがいいのだろうと思う。

 

おそらく記憶の外部化が必要なんだよな。今は覚えていないけれど、その情報/もとい感情のありかは分かっている。あの位置に格納されているし、どこでも取り出せる、っていう安心感とかいうやつ。そういうのがないと、ふとした時に安心して忘れられない。