荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

自分で思っているより人間を好きではなかったんじゃないかと思う。

自分で思っているより人間を好きではなかったんじゃないかと最近思うことがあった。

自分では比較的誰とでも話せるほうだし、誰と喋っていても比較的有意義な時間と感じるし、これといって人嫌いというわけではないと思っていたのだけれど、

たとえば、同じ人間と一日8時間×5日/週時間を過ごすと考えると、閉塞感に億劫さを感じる。

これは至極普通のことで、割とみんなそんなもんなんじゃないかと思っていたのだけれど、どうもこれは少数派らしい。

 

これは僕の傾向なのだけれど、僕は人が何を考えているか、というか、思想の内容にはあまねく興味があるけれど、その人という身体的な存在自身には大して興味がないのだろうと思う。

 

これを描いていてふと思ったのだけれど、現在制作中のアニメ「雨上がりの虹」シリーズは、「自分が嘘をつかずにかける範囲の大衆向け」として構成していたものの、よくよく考えてみればそこの前提とされる価値観の裏に、自分の世界に対する認識・価値観が大いに反映されているのだろうなと思った。

狙っている筋書き、テーマ、人間関係、構成…そういったものはすべて文章で説明できる程度に考えた結果のお話であって、もちろんそこで説明された範囲に関しては、非常に「多くの人が納得できる」ような、普遍的なものではあるのだけれど、

一皮向いて、「どうして彼らはそれで良しと感じるのか」「どうして彼らはそういう関係に落ち着いているのか」というところを考察してみると、それは作者の価値観がそれを良しとしているから、にほかならないのではないかという気がした。