荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

最近、日本語ネット圏において、書かれたことを鵜呑みにする人が増えた気がする。

最近、日本語ネット圏において、少し以前と違う変化…というか、違和感を感じることが増えたような気がします。

 

ネット上に上がってる一語一句を「事実の伝聞」であるかのように飲み込むかのような言説が非常に増えたように感じるのです。

 

例えば、大学などへ行くと、理系文系を問わず、「その文章の原典はどこか、ソースはどこか、明示せよ」というのは耳タコで叩き込まれるわけです。

そういう発想を下地にして考えるとすれば、ネット上に書いてあることなんて、「ただそこに書かれた文章」でしかないわけです。確かなことと言えば、せいぜい「画面の向こうで誰かが入力したこと」ぐらいです。(※自動文章生成はまだ実用に投入されてはいない、という前提で書いています。)

 

実名や身分証明書と結びついたwebコミュニティの発言でもない限り、ネットにいる個人の各々の感想なんて、もしかしたらそれはフィクションかもしれないし、いや、フィクションや嘘設定であったほうが面白いと言うか、まあそんなもんでしょうという感じの世界だったような気がするんですよね。数年前までは。

 

さいきんは、ヴァーチャルなんとか…という3dモデルのようなアバターを被って3d空間を散歩したり、配信したり、するのが流行ってきているようですが、それをみていて思うのは、嘘(フィクション)を嘘(フィクション)として共有するためにバーチャルというガワすら必要なのか、というのが僕の個人的な驚きです。
というか、そういう前提が成立してしまうと言うことは、逆説的にみると、ヴァーチャル3dモデルというガワをかぶったり、「ヴァーチャルな世界です」と前置きされたweb空間に居ない限り、皆これがリアルの延長なのではないかと思っているのではありませんか?