荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

究理学と広がる探究心 社会不適合者

僕はもともと、子供の頃から、作品制作と真理の探究以外に興味を持たなかった。

それを究理学と子供の頃に僕は名前を付けたが、その、究理学と創作に必要な事象以外には、笑えるぐらい一切興味がなかった。

 

というか、今でもそれにしか興味がないし、結局それしかやっていない。

……外向きのカモフラージュを差し置いては。

 

で、どちらをやるにしてもですね、

つまり普通の人間として普通に生きて普通に普通の感覚を知って色んなものを見聞きして色んなところに行って足を動かして空気を吸ってご飯を食べて、他の人と空間と時間を共有して

 

っていう経験値は必要ですよね。

よりよいものを作るために。より面白いことを考えるために。

 

だから、表向きは僕はそのように生きてきたし、今でもそうしている。

 

友人から、「変人としての自覚を持て」といわれた際、僕にはさっぱりぴんと来なかった。

別に変人ではないと思う。だいたいの人の感情とかその動機とか、何考えているかとか、普通に人並みには読み取れるし。(女の子がなんでチャラ男に好感を持つのだけは謎だが…)

 

 

だけど、やっぱり変人なのかなあ……と思う。先の記事で、さっぱり就活をする気力が湧かなかった件について、述べたとおり、思ったより自分は社会不適合者の部類らしい。

どうしたもんかな。

波風は立てたくないものだが。

そして、一番よくないのは、波風を立てたくないから無難なことをしようとする、その発想自体だとも思っている……。