荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

懐かしい雰囲気の記事を見つけた。道を踏み外したような合っていたような

さっきインターネットをザッピングしていたところ、懐かしい雰囲気の記事(※1)がたまたま目に留まった。

この雰囲気についていけなくてこの分野(※2)から足を洗ったことを思い出した。

 

 

note.com

>(引用)僕が宇宙開発に携わる上で、原動力となっているのは「人類が外の世界を知ろうとあがく力の一部になりたい。それに一度きりの人生をかけてみたい。」という思いだ。

 

このノリ、あったなあと。

 

自分は能力的にも研究の適性も実はあったほうなのだけれど、この熱意が全く理解できなかった。適性的に企業に所属することが向かず、しかも研究職にはそこそこ適性があったにもかかわらず、「ついていけない」という思いがあった。

 

研究室の親切な先輩のもとへ向かう足が止まり、その部屋をノックして指導を仰ぎに行くはずが、階段を登ってその階へ到達したあとにおもむろに階段を下り一回に降りてからまた上ったり下りたりを繰り返したりして遅刻したりした。

 

宇宙を、あるいは地球の歴史を解明する礎となるために人生をかけるのだと言ってはばからない教授、助教ポスドク、そして周りの研究者を目指す院生……の熱意に自分はついていけないと思った。

 

アカデミックの大理石にやわらかい爪跡だけ残して、去る。 - 荷内思考開発所

これは、その当時の自分の記録です。

 

実際の地球史が本当は厳密にどうであったか、そういうことは自分にとってはどうでもよかった。「あったかもしれない」思考実験としての今と異なる世界を創造することは楽しかったし興味深かった。だから地球史にも宇宙史にも興味があるのだと思っていた。

しかし自分にとってそれは架空の世界でも全く問題がなかった。

本当のものとは異なるSFフィクションも、スペクタクルファンタジーも、本当のものとは違く架空の恐竜が住んでいた昔の復元世界も、すべて自分にとっては同質のように感じられた。

架空の世界が好きだった。現実の世界は確かに興味深いが、自分のさじ加減でいくらでも可変しいくらでも影響を及ぼせる架空の世界は自分にとっては現実の歴史と同じように感じられていたのだ。

 

自分は大学院に残った人のテンションがわかった。熱意がわかった。自分も確かにそちら側の気質だった。ただし、対象に興味がなかった。

そこで、自分にとってのテーマを自分の分野で立て、追い求めるというモチベーションですすめることにした。

 

そして数年間たった。その間知ったことの一つとして、大学院の外には、世界論の構築なんてことに人生をかけている人間なんてどこにもいなかった。

 

(※1 この方とは面識どころか名前も今見て知ったレベルなので、完全に知らない人、知らない「コンテンツ」として本記事では扱っています。)

 

(※2 厳密には探査機系ではないものの、大きいくくりでは宇宙惑星系、地球惑星科学系出身の身です)