荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

漫画や小説、映画などの表現物のタイトルの具体性によって、その世界観の広がりの上限が決定されるという話。

作中世界の広さとタイトルについて

世間にある漫画や小説、映画のタイトルを大まかにみていくと 世界観の狭さから順に

1. 具体的行動を文章で書くもの  てきとう例「ゴスロリメイド宇宙人が俺の部屋(まいるーむ)に居候を始めた件」

2. 登場人物がタイトル名になるもの  てきとう例「レンの刃(やいば)」

3. 具体的な固有名詞でテーマがわかるもの  てきとう例「ゆるバスケ」

4. 雰囲気や作中のキーとなるアイデアを伝えるタイトル  てきとう例「0-9(ゼロキュウ)」

大まかにこの4種類に大別されてるように見えてます。 そして、情報が具体的なほど、初見の人に中身の情報が伝わりやすい。

タイトルの情報は多いほうが興味のない人の購入欲をそそるものの、タイトルがあまりに具体的だと作中の内容が縛られる自体が起きます。 主人公名をタイトルにすると、主人公が途中で入れ替わることが難しくなります。

(※この辺、島耕作は作中内容の変化に従って、課長になったり部長になったり社長になったりすることでタイトルの方を変更することで乗り越えてますね)

 

個人的には、あまりにも具体的過ぎるタイトルは作品の質自体を軽視しているようにも見受けられるのですが、それはあくまで個人的な主観の範疇の話ですので、あまり一般化するような話でもないかと思います。

 

まあタイトルって思ったよりメタ的な意味で情報量をもっているんですねー、みたいなことを考えました、みたいな話です。