荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

僕は文章が書けない~ブログを書いて気付いたこと1

 はてなブログでいくつか記事を書いてみて思ったことだが、

自分は自分で思っていたより、人に伝わる文章を書くのがうまくないようだ。

 

 多分、エネルギーを割いてもらえれば読むことのできる文面にはなっているとは思うけれども、じゃあ、全く違う価値観の人間が、すらっとよんで、さらっと頭にしみこむような文章かっていうと、とてもそれは遠い読後感なんだろうな、と思う。

 

 解る、には二種類の解るがある。

 

 一つは、論理的構造把握ができたという、解る。

 もう一つは、感覚的にすっと、腑に落ちるという感覚。これはしばしば、直観にダイレクトに共鳴するため、必ずしもこちらの『解った』状態では、論理的な構造ごと解っているとは限らないらしい。

 

 自分はどちらかと、後者の意味で「解りやすい」文章は書くのが得意だ、と思っていたが、どうも書いてみた感じでは、そうでもないらしいな。と。

 

 具体例を入れて、口語的な言い回しにして、感情的な表現を挟むようにすれば、読者に直観的に響くような文章になるのではないか、と思っていたのだけれど、

やはりそれだけではないな、と。

 

 文章というのは、必ず、上から下、左から右したへ順々に読んでいかなきゃいけないものであり、いわば「直列つなぎ」であるので、本当は、アルゴリズム(フローチャートみたいなものと考えてください)を説明するのには不十分な面もあると、考えている。

 だから、ある言いたいことがあったとして、その内容を説明するにあたり、論理的、あるいは構造的側面の整合性を重視して説明するよりも、直観的なイメージやおおまかな感情のベクトルが伝わるように、書く方が、より(文章という形式だと)「伝わりやすい」と思っていたのだけれども、どうもそちらを重視するだけでも、だめらしいな。と。

 より感情や直感に訴えるなら、小説などの感情をダイレクトに伝える媒体にすればいいわけで(だから、小説等のメディアはなにかのアルゴリズム的な論理を伝える媒体としても大変すぐれている物だと思っているけれども、まあそれは別の話)、それは、ここでいうような「文章」として求めているものではない。

 

 頭の中で、ある問題に対して、整理し、論点はこうで、改善方法として、まずこのような手法があってっていうのを、解りやすく伝えるにはどうしたらいいかな。

 ってのを模索してみようと思う。

 

 いい勉強になった。