荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

しらぬまに人を傷つけている。

不特定多数の人が見る、そして人が多く集まる場で何かを、「公言」することは、知らぬ間に人を傷つけてしまうリスクを孕んだものでしょう。

 

スマートフォン等が普及し、誰でもコメントやSNSなどの発言をすることが容易になった現代でも、人間の認識はそう急に変われていないな、それが故の食い違いが発生しているな、という現象が垣間見れることがあります。

 

人間は長らく一人一人が接する人間の数を少なく抑えて生きてきた生き物です。つまり、大くの人にとって、インターネットが登場する前に人生で言葉を交わすような知り合いの数は数十人~せいぜい人生で数百人が関の山だったのではないでしょうか。

 

今、数百~数十万の人に自分の意見を表明して見せることが、非常に容易な時代になりましたね。あたらしいつながりによるメリットも発生するようになった一方、デメリットも顕在化してきました。

世の中にはいろんな人がいます。マイノリティ的な感覚を持っている人も、母数が大きくなれば非常に増えていきます。


母数が大きくなった場で、何かを発言する際に「私はこの発現によって誰一人傷つけてはいませんのでご安心を」と胸を張っていうことは、非常に困難なことになってきます。というより、原理的にかなり無理がある発言かと僕は感じるのです。

どういうことでしょうか?

たとえば、SNSでゴキブリの写真をシェアしたり、アイコンをゴキブリの画像にしたら、それは多くのゴキブリを嫌がる人を不快にさせる行為、じゃないですか。

このことに違和感を抱く人は多くはないはずかと思います。

 

しかし、これが、鳥の画像、例えば鳩の画像だったらどうでしょうか?

実は自身も最近知ったことなのですが、世の中には「鳥恐怖症」という恐怖症の方が結構いらっしゃるようなのですね。その方らの目からしたら、鳥の画像を誰でも目に付くところに掲載すること自体が、ゴキブリの画像に匹敵するハラスメントに映っているのではないか、と思ったのです。

今まで鳥の画像をシェアしたことがある人は、少なくとも彼らからしたらすでにハラッサーだということなのです。

今まで、「私の言動には問題がない」と信じてこられた皆様のうち、素敵なものだと思って鳥の画像の掲載や拡散に関与したことがある方は、ご自身がハラッサーだった自覚はおありですか?

……多分ないと思うんですよね。

 

自分も限りなく注意深く行動してきたつもりではあるんですが、やっぱり限界はあるな、と。僕は爬虫類が大好きですが、爬虫類に嫌悪感や恐怖を抱く人が多くいるのは存じ上げております。だからこそ、そのあたりは気をつけることが可能だったのですけれど、まさか「鳥」を、あのかわいらしく美しい「鳥を」、同様に嫌悪感や恐怖の対象としてみなしている人がそれなりの数でいることを、想定だにしておりませんでした。

自分は今まで、「加害した自覚」ありきで(爬虫類の絵などの)加害的な意思表明をしてきましたが、自分が思っているよりいろんなことについて「傷つく」「ダメージを受ける」人が多くいる、ということに驚きつつ、やはりこの世界は面白いなあ、と思います。

ちなみにそういう僕自身もなぜかこれだけは駄目、という生物種がいます。自分の場合はそれは(※censord1)なのですけど、ゴキブリではなく(※censord1)(や、ある種の(※censord2))のインターネット上の画像検索等で何の悪気もなく美しいものの象徴として(※censord1)とか(※censord2)が紛れ込んでるの、ほんとうにこれほんとうにしょうもないことなんですけど、「ビクゥ」っとなって、その瞬間のどに食べ物が通らなくなります。

自分自身こうなので、他の人にどうとか言える立場ではないのですが、
「お互い(命を取り合わない程度に)楽しく加害しあおうね!!」みたいなスローガンを表明したくなりますね。

これなんなんでしょうね。

※表記を(※censord)にしたのは、もし、万が一、何かの折に今後自分が多くの人を敵にまわすようなことがあった際、嫌がらせ等でその生物種の画像を送りつけられたらいやだな、と思ったからです。軽く自衛させて頂きました旨、ご了承くださいませ。