荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

かつての「世界地図」はいまでは地球地図になった

「中国は王様になりたいのではなかろうか」

最近の中国の行動を見ていてそう思った。

 

ユーラシア大陸の一角、中国はすでに肥沃な大地を領有している。
その上で、国境を接する複数の地域の領有権を一度に主張するのは何が目的なのだろうか。

なぜ日本の諸島を攻めるのか?太平洋の水産/エネルギー資源が欲しいのではないかといわれることが多いけれど、個人的には、本当にそこで止まるのか?と感じている。

「本当はアメリカ大陸の国土が欲しいんじゃないか?」

 

チベットウイグルが弾圧されているけれど、彼らの文化に「ここが原因で中国から敵視される」というほどの文化的な共通点はない。片方は仏教、片方はイスラムで、宗教も異なれば文化や風習や歴史も違う。共通点は、どちらも「少数民族というには他国の独立国家として普通である程度には人口が多く肥沃な土地を持った集団(固有の文化圏を持ち、固有の神話=物語を持つ精神的地盤を持った集団)」ということがある。

なぜブータンの領有権を主張したか?といえばチベットの地域が陥落したから、隣接している地域に南下しただけなのでは?

ウイグルを抑えきったら西のカザフスタンキルギスへ手を伸ばせるからでは?(注)

 

国際社会の国同士のやりとりというのは基本的にローコンテクストでの合意を求めることをベースとしているが、思うにそれでも最低限の「暗黙の了解」というのはあるような気がしている。「各国家は、極度に住みにくい環境でない場合、必要以上に領土そのものを拡大したいという欲を持っていない」「国際競争は経済力や物資等の豊かさで競争しあうものであって、国土そのものの広さで競争するという価値観を持ち合わせない」という暗黙の合意だ。

中国は位置的に農耕がしやすく温暖な気候の大河から沿岸地域までを有しており、肥沃な大地をすでに有している。

したがって、国際標準の暗黙の合意の観点からすると、「領土を広げることに興味を示しているはずがない」側の国家だと思われていたのではないか。

 

中国側の主観としては、いまは春秋戦国や三国志の時代のような各勢力が時代で覇権をめぐっている時代であるのかもしれない。”だから他国と覇権を争って統一を目指すのはあくまで普通のことであり常識”、とも思っているのではなかろうか。

経済やデジタル空間上はさておき、現在の物理的な領土を広げるという発想は国家レベルでは全くスタンダードではないのだけれど、とはいえ、本人の見えている世界ではそうであるなら外の人がどういったところで、容易にものの見方を変えられるようなものでもない気がする。

もし、現代が彼らの視点において群雄割拠の時代であるとして。当時と大きく変わったこととして、平たくて端がどうなっているか不明瞭だった、人間の居住できる「世界」というものが、科学技術の振興によって、宇宙にたたずむある惑星であるということが分かった。その星は地球と名付けられた。半径6400km未満の球体の表層。それがいまのところ現在人間が居住しうる「世界」のすべてだ。

これらの知見に伴って、我々、そして、彼らが持つ「世界地図」に描かれる世界の広さが変わった。春秋戦国や三国志の時代は地球があるかどうかも分からず、世界とはユーラシア大陸の一角だったが、今は閉じた地球という太陽系第三惑星の表面上、水面上に露出している陸地をすべて含んだ場所が「世界地図」に描かれている。

だとしたら、かの王朝が統一したい世界というのは、「地球上の水面の上にある陸地全て」なのではないか。

 

 

 

(注)は続きへ

 

(注)等と書いていたら、そういう感じのことを見つけました。2020年の記事です。

カザフスタンが中国に抗議 大手サイトに「中国に戻ることを切望」 - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト