荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

人間の気質

(本記事は2018年6月1日に作成したものです。)

今回はちょっとタブー的なことに踏み込みます。

エニアグラムは9つのタイプに人の気質を分類する。
クレッチマーは人の気質を3種類の類型で分類した。

ユングの心理学タイプ論をもとにした性格診断は4種類の項目を2タイプに分けて、合計16種類に人を分類する。

中医学(漢方)では数種類(3~6種類)に体質を分類する。

 

 

これらの共通点は、人間の(先天的な)気質を数種類に分類しているということです。

つまり、一つじゃなくて、人間には複数のタイプがあって、全員ばらばら、というほどではないにせよ、おおまかに得意不得意が分かれている、といっていることになります。


自分もこの発想はだいぶしっくりきます。

何を当たり前のことを、という感じでしょうか。

 

少し話を変えまして、発達障害という言葉、とくにADHDという言葉が浸透するようになりました。

ADHDは好奇心旺盛で時間感覚が特殊で朝が起きれない狩猟民族

というふうに表現されるようですが、これは少々(かなり)誤解を誘うような表現かなあという印象です。以前私もこれを真に受けて勘違いをしておりました。

好奇心旺盛で侵食忘れるほどの集中力を発揮して時間にルーズで締め切りギリギリに取り組むほうが性にあってる人はADHDなのでしょうか。
真に受けると「そうです」、ということになってしまいそうなんですけど、
思うに、それはただの、そういう集中力にムラをつけてメリハリをつける重厚長大型タイプのライフハックが性にあってるだけの『普通の人タイプB』とか、だと思うんです。


たとえば、

 

『普通の人タイプA』がコツコツできて、朝に強い、小回りが利くタイプだとして、

『普通の人タイプB』は抜くときは気を抜いて、夜に強い、大きな集中力を要する仕事に強いタイプだとして、

『普通の人タイプC』は(etc.

 

このように気質が分類されるとするじゃないですか。多分この分類の例自体はあまり違和感のないものだとは思いますし、
それこそ、農耕型と狩猟型なり、朝型と夜型でもなんでもいいんですけど、要はどちらも「普通の人」の範疇なんじゃないですかね?

どういうことかといえば、人の気質は一つではないし、巷に溢れる「定型発達~発達障害」のチェックシートの項目を真に受けると、定型発達と括られている範囲が実は数多くある気質の中のどれかのタイプしか該当しない内容になる気がするんです。

もちろん、世の中には、何事にも一定の情熱をそそぐことが出来、朝が強く、コツコツルーチンを繰り返すのが苦にならず、興味を持ちすぎずもたなすぎず、何事にもはまりすぎて寝食を忘れることがなく、…という方もいますが、それはあくまで先述の性格診断のうちのタイプのいくつかであって、全部のタイプがそうというわけではないですよね。

 

個人的に結構気になっているのは、「過集中するのが発達障害の特徴」ということです。

「普通」の人とくらべて日常に支障が出すぎるほど集中しすぎる状態、というのはどういうことか、といえば、誰と比べるかでだいぶ変わってきませんか?

CGつくりこんでいたり、ゲームやりこんで、あーご飯食べるの面倒臭い、1本満足バーで済まそう…ぐらいに思うの、普通ですよ。普通ですから。
(過去の自分にいいたいのは、君自身もADHDじゃないし、上記の気質を持った友人にお前もADHDかもってへんなレッテル貼るのはやめなさい。普通だから。)


対策するべき発達障害としての注意力散漫、というのは、頭の水槽の中に貯めておける注意量や短期記憶の量が足りなくて、覚えておくべきことが覚えていられなくなる状態のことかなあ、と思えるんですが(当事者の方の発現を見るに、頭の中にもやがかかった?状態、らしいです。)


そのあたりについては、自分の中で、だいぶ昔からある仮説を思いついておりまして、

たとえば、先述のタイプAとタイプBで話を進めると、

縦軸に記憶力(ワーキングメモリ)、横軸に気質(タイプA,Bなど)

を書いたグラフでなんとなく説明はつくかなと思います。

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こんな感じのグラフで考えていただけますと、雰囲気は伝わるかなと思います。
青で囲った部分が、社会生活に問題がない人たち、そして、赤で囲った部分は、現代社会に適応することに(先述の目線での)困難を抱えている人たち、というイメージです。

つまり、タイプによって、現代社会における適応のしやすさが異なってくる、というイメージです。

もっとも適応しやすいタイプであれば(この図の例でいうとタイプA)、記憶が少々苦手であっても問題なく社会に順応できますが、適応しやすくはないタイプであれば(れこの図でいうタイプB)、より順応しやすいほうのタイプでは問題がなかったぐらいの記憶力では少々問題が生じるようになる、というイメージです。

そして、タイプによらず、記憶力や注意力の容量が不足していることで、社会生活に困難をきたしている層(この図でいうと最下部の赤く塗られている部分)を、注意力欠陥障害、というのではないでしょうか?

こうすると、ADHDは好奇心旺盛で朝が起きれない狩猟民族、と説明されがち、という現象の説明がつくかと思います。
つまり、ADHDという集団には、どちらかといえば、そちらの気質を持つ人のほうが多いので、そう見えがち、なのかなということです。


しかし実際のところ、そういうADHDに多く見られる気質を持っている人が、必ずしもADHD的な困難を生じているわけではないので、その表記は誤解を誘うのではないか、と思い、このような記事を書きました次第です。

 

 (追記:だいぶ前からこのようなことは体型だてて考えてあったにもかかわらず、(web含め)どこにも表に出さなかったのは、この考え方自体が差別的な発想を助長するおそれがあるためです。今回こちらに表記したのは、差別・区別てきな発想を誘発する恐れはあるものの、とはいえ、おそらく今このタイミングでどこかに誰かが書いておくべきアイデア(ものの見方)だろうなあ…と思いましたので、表記させていただきました次第です。)(2018年6月1日)

 (追記2:最近、HSS/HSP という概念(総ての人を、「HSSの有無、HSPの有無」で4種類の組み合わせに分ける区分方法)が出てきたので、「機が熟した」と判断したため本気地の内容を公開させていただきました。)
要するに、ひとくくりに同じ人間といっても、刺激に対する応答反応が違うタイプの人間がいて、その有無によって諸々が変わってくるんじゃないか、という話ですので、おおむねそのあたりの話と一致しているかなと思います。
そして、その応答反応が多数派じゃないからといって、かならずしも発達障害と括るのは適切ではないのではないか、という話でした。(2019年5月10日)