荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

見果てぬ夢の先には何もなかった。というのはこんな気分だろうか。

ちょっとした田舎に住んでいる。

近くに川があるのは以前から知っていたが、実際に行ったことはなかったので、自転車で少しいってみることにした。

確か、川にはサイクリングロードが併設されていたはずだと思った。

 

むかう途中までは左右の往来を田舎の風景が過ぎていく。思っていたよりずっと心地のいい道だと思った。

そして、あるところで急に目の前がひらけたと思ったら、工業プラントがあった。

 

驚いた。このようなものがあったとは。

しかし、今回の目的は工業プラントではなく、サイクリングロードがあるような緑地のはずだったことを思い出した。そして、「これ以上先に進めない」。そう直感し、Uターンして戻った。

「もしかして、この先に緑地が併設されたような河原があるというのは思い込みで、もしかしたら部外者が、ましてや自転車に乗ってなど踏み入れないような工業地帯が続いているのかもしれない」

と、そして、「何て浅はかな思い込みをしていたのだろう」と思い、ただただUターンして戻ったのだ。

ただ、それだけの話である。

 

最近読んだ、「少女終末旅行」という漫画にて、主人公の少女らは行く先々で巨大な道の建造物に出会っていくのだけれども、そのとき少女たちは新しい風景を見るたびにもしかしてこんな感慨を抱いたこともあるのかな、とすこし想起した。

 

もちろん、横道にそれていけば、川の方へ出る道はいくらでもあったし、そうすることは可能だったけれど、その前に気力が折れてしまった。

 

これは非常に小規模で些細な出来事ではあるけれど、例として、

『見果てぬ夢の先には何もなかった。というのはこんな気分だろうか。』

 

 帰って地図を見ると、やはりそのプラントの少し向こうには川があった。

そして、念のため現地の画像を見ると、やはり当初想像していたような緑地があった。

サイクリングロードも併設されていた。

 

少し横道にそれて、同じ方角を目指せばやはり本来の目的は達成されたのだ。

それを、目の前でUターンして戻ってきてしまったのは、他でもない自分である。

 

それを、心に刻むといい。

 

『見果てぬ夢の先には何もなかった。すべては自身の思い込みと勘違いであった。』「そういうこと」にしてしまったのは、
他でもない、自分である。