荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

労働市場に参入しないと生活できないというシステムについて

これは私が前々から思っていたことなのですが、基本的に、今資本主義の世の中では、多くの人が『労働市場に参入しないと生活が出来ない』と教え込まれ、思い込まされています。

実際はそうではなく、なんらかの方法で『お金』という名の信用を持っていれば生活できるのですが、大半の人にとって生活できるに足るお金を(正攻法で)入手する方法としては、労働市場に労働者として参入するという方法しかありません。私含め。(※受注請負のフリーランス等も含む)

 

(実際は生活保護などセーフティーネットは存在しておりますが、そのような、『セーフティーネットを使用するのは悪いこと』という刷り込みがされている人が多いようですので、後ろ指差されないで、生活する方法としては、やはり、『お金を持っていること』が『生活&生存』のための十分条件になります。今回の文章では、後ろ指差されないお金の入手方法=(正攻法)と表記しております。)

 

さて。

 

私が長年思っていたことではあるのですが、
「私は面白い心に響くお話を作れます」「絵がかけます」「漫画が描けます」「受賞歴もあります」「CGが作れます」「ついでにアニメも作れます」「そして、そのアニメは多くの人にとって(欲しいもの)であるとも断言できます」「つまり完成して公開した暁には価値が発生いたします」
しかし、「『信用』がまだないのでアニメを作る(あと半分を)環境を整えることが出来ません。」

 

この問題。

生活するには労働市場に参入しなければならないのでしょうか。

この問題。

私が労働市場に参入して少々のプラスをもたらした分の価値と、私のアニメ自体が完成してコンテンツとして成立した後の価値でしたら、明らかに後者の価値の方が大きいというのも、断言できます。

しかし、(正攻法では)作ることが出来ない。『信用』が、まだないから。

 

つまり、『信用』がまだないひとは、時間をかけて一つのものを創り上げる権利が保障されていないといってもいいのです。作るものがたとえいいものだとしても、そのプロトタイプを上げる猶予をつくることが(現行の世間では)許されない。

その問題。

『信用』を積み上げていけばいいじゃないか、といえば、(正攻法で)その『信用』が十分な力を発揮する頃には、私はもう中年~壮年です。もう、時代の空気を救った『若者のリアル』なんて話はかけない。

 

さあ、どうしたらいいものかな、と暗中模索中であります。