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荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

といいつつも面の皮厚くここではスタンスを変えず書きつづけてみます所存です…

さいきん。

「『誰かのために』刺さることだけを目標として、創作なり熱い想いで作品を作り続けるにはちょっと互いに歳をとってしまいましたな。笑」

という内容を友人と話しておりました。

僕もそうだなあ、そうだよなあ、もっと熱い何かというよりは、落ち着いた何かを、創作の信念に据えなければなあ、とそのときは思ったわけです。

つまり、僕にとっての創作における青春年代というか、『誰かに届いて欲しい』とか、『この作品には人を救う力がある』とか、本気で思い込んでがむしゃらに進む年代は少しすぎてしまったのではないか、と。

そして、それでいいのだ、新しい指針を探そう、

……と思っていたんですけれどもね。

 

 

僕の好きな独特な歌詞を書くアーティスト(ミュージシャン)のライブに先日行ったとき、そういえば、『今までは自分のことばかり作品にこめていたけれど、前回のアルバムから、そうではなく、『ひとのために』作品を書くようになりました。』
って、言っていたことを思い出しました。いけいけしゃあしゃあと。

…そのとき僕はちょっと驚いたのです、あれ、キャラじゃなかったんだ。って。

この少人数のオマケでねじ込んだような小さなハコで、あえて言わなくてもいいような、他のミュージシャンのように、『ありがとうございます!』だけ言ってても何も問題ないような場所なのに、あえてそういうテンションにまでさげてそれをMCで言うほどのことなんだ、と言う感じですかね。

 

そこで、ところでその彼、詳細はわかりませんが僕より5~10歳ぐらい年上です。

そうなんですよ、ずっと年上なんですよ。

じゃあ上述のはなんだったんだろう……と、自問自答したわけです。

 

たしかに、一般的には、『熱さを失う』20代後半という年代だけれども、
でも、結局その僕が応援したいアーティスト自身は年齢関係なくやはり熱くて、
そして、僕が大きく区分して彼らと同じ『芸術』であり『エンターテイナー』という土俵に今後も立ち続けていたいのであれば、やはり僕は熱くあるべきなのではないか。

冷静に冷めてきたもう一人の自分、そいつがちょっと冷やかしはじめたとしても。
もう少し、もうちょっとだけ前へすすんだ馬鹿でいつづけてみようじゃないか。

…そういうものかもしれないな、と。

それでは。