荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

他の人の「変化」にきたいしない

ここ数年で、自分の意識が非常にめまぐるしく変わり、性格もかなり変わったんじゃないかな、と感じることが多々あります。そして、周りを見渡してみても、おなじようにいろいろ考え方が変わったり、話す内容が深化してきた友人知人も多くいます。

しかし一方、その人なりの成長を拒んでいるかのように、あるところで変化を止めてしまったかのような人もある程度の割合でいるように見受けられます。

 

僕からすれば、「どうして彼らはいつも同じステージをぐるぐると回っているのだろう」とみえて、それが楽しそうならば構わないのですが、そうではなさそうなので、そのことに気付いた身として、「こちらにおいでよ」と変化の兆しを提示したくなるのですが、ふと、それ自体がエゴなのかなあと思い至ってこちらに文章を書き留めたまでになります。

 

あたりまえのように、「人間の意識は年齢や社会環境の変化とともに、成長し変化するもの」と思っていたのですが、この前提を変えて、「人間の意識は変化も成長もしない」と認識しなおせば、彼らが決して特殊ではなく、「変化をして生き方や思慮を深化させた友人知人たち」そして、僕自身もが、たまたま非常に幸運でラッキーだったグループだと認識することが出来るようになるでしょう。

 

そうすると、根本的な解決をせずにいつまでも同じ問題で文句を言ったり他害をしたりする人たちの行為を、「歳相応に成長していないから成長すべき」とべき論で考えたりしなくてすむんじゃないかなあと思った次第です。