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荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

我思う故に我在り

かの有名なデカルトの言葉を少し引用してみたわけだけれども。

 

もちろん、そのデカルトが一体何をもってこの言葉を残したのかその心中は僕には定かではないけれども、僕はなんとなくその言葉にある種のシンパシーを感じた、まあだからいまこういう風にブログを書いているわけだけれども。

僕は、なんとなくだけれど、こういう風に文章を考え、打ち込む僕は、思考する主体として存在しているという気がする。この感覚自体は決して特殊なものでhないし多くのみんながなにかしらもっているようなものだと思うけれど、もしかしたら、僕の場合は他の多数の人より、この思考する主体としての自分像、というものに重きを置いているウェイトは大きいのかもしれない。

 

文章がいつもより若干支離滅裂だ、それはそう、今日は文章をわかりやすく書こう、とか人に読んでもらいやすく書こう、とかよりも、赴くままにキーをうつことを優先しているからだ。気の赴くままに文章を書きならべていっても、この水脈はこの程度は意味を成す文脈を形成していくし、まあ、これ以上の論理だったわかりやすい何かを形成していくほどの明瞭な系統だった思考は備えていない。

 

さあ、さて、この思考する主体としての僕、というやつであるが、最近ようやく24時間のほとんどをこの思考する主体という彼が引き受けてくれるようになったらしい。なにをいっているかといえば、やっと普通の人のように目の前の現実に僕の思考が向き合ってくれるようになったっていうことだな。目の前の現実…?本当に見ているか?