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荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

理解はしないけど「そういうもの」だと認めるものはある。 おそらく生育環境によって刷り込まれてきた先入観~1

おそらく後天的に身につくた先入観について、案外その影響は大きいのかもしれないという話。

 

ある人(A氏としておく)が、美術分野の芸術家と日本のロックグループと雰囲気が似ていると語っていた。その例えは、わからなくもないけれども僕にとってはあまりピンと来なかった、というか、芸術家のことを矮小化して語っているなあ、という印象だった。

 

そこで、なぜそれを矮小化しているように感じたのかといえば、彼に比べて、僕は外国の高名な絵描きを過大評価しすぎ/そして日本のロックグループを過小評価していたからだと思い至った。

どちらが正しいといったものではないのだけれど、僕にとってロックミュージシャン、とくに最近の邦楽のミュージシャンは低俗で安価なもの、あまり、しっかりした「芸術作品」を作っているような存在ではなく、安価な暇つぶしをcommercialにのっとって提供してくれる存在にすぎない、というイメージがあったのだろうと改めて思った。

 

それでは、僕にとってその芸術家の作品群と横に並べるとしたら、音楽家だったら「誰なら」納得するかと考えたところ、やはり行きつく先はクラシック管弦楽の作曲家・演奏家群なんだな、と思ったわけです。つまり、音楽と美術を同じショーケースに陳列すること自体には違和感は持っていない、と。

 

おそらくエレキギターやロックミュージックに対する偏見が、やはり僕にはあって、ではそれはどこから来るものかといえば、やはり「最初に触った楽器が何であったか」というところからくるのかな、と。

正直なところ、エレキギターというものが、楽器だと認識したのは18を越してからであって、それまではファッションの一種のような、身に包む飾りだと思っていた。つまり、彼らの機能は「カッコイイ」というアイコンであって、音は一応なりはするけどおまけである、と。そしてちゃんと音楽を作りたいのなら、ちゃんと音の鳴る「楽器」を使うべきだと、思っていたわけです。

 

今はエレキギターは弾けるし一応楽器なのはわかっているけど、でもやはりピアノや金管楽器と同列の楽器か?と聞かれると首をかしげざるを得ないし表現の幅も少ないと思う。これは僕の感覚であるけれど。

 

また別の人だけれど、ある人(B氏)は、ギターを一番感情の表現ができる楽器だと言いきった。

その時は、もちろん彼のいう理屈を僕は理解できたと思ったけれど、今思い返せばやはり僕には感覚的には全く理解ができない。というのもやはり僕にとっては金管ないしダブルリードの楽器群が一番エモーショナルである。人間の喉もよいダブルリード楽器であるけれど、ボーカルは時折歌詞を邪魔に感じる。

 

この不思議な偏見が、先天的なものであるはずはないのだから、だとするとこれは、たぶん後天的に身についた「感覚」なんだろうなあ、とは思うのだけれど、

だとすると、やはり人間ってすごいあいまいなものなんだなあ。と、

だってちょっと与える楽器の順番を変えるだけで、同じものに対してこうも異なる感覚を持つようになるのならば。