荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

ウィリアム・マクニールの 世界史(上) を読んで

興味深い事柄だらけだった。

 

お前の歴史知識ってそんなものだったのか、と呆れられそうだが、

実際古代史を体系的に学んだことはなかったのでいろいろ新鮮であった。

このような内容が、高校の世界史の範囲として扱われているのなら、日本の高等教育も捨てたもんじゃないと思う。

 

点と点で、そしてはあるときは評論の題材として、ところどころ聞いて、遺物を見て、知っていた世界史の歴史における『知識』が線と線でつながって、面(サーフェイス)となって、自己内で複合的な構造体として、データベースとして組み込むことができた感がある。

 

読んで良かった。

 

 

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この筆者の各国・各地域に対する記述がどの程度信憑性のあるものかは、

たまに取り上げられる『日本』という辺境国家の、扱いを、普段の日本人の知っている日本の歴史・社会構造像と対比してみればなんとなく把握できる。

 

つまり、単語としては、別の単語を使って置き換えているところがあるが、しかし、全体の描き出すイメージとしては、もともと知っている日本像をうまく捉えたものとなっている。

この適宜な的確さで、他地域も同様に扱っているのだろう、と。