荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

時間の感覚が周りと合わなくなってきている

普通に週5で企業に勤めている知り合い。

自由業といえば聞こえがいいがフリーランスで昼夜逆転している知り合い。

学業に縛られた、そして守られた生活を送る若い知り合い。

 

僕の今の時間感覚は、彼らのどれとも合わなくなって来た。

上記のどれもが、ループする日常の延長にある感覚の業務である。

勿論、どれも内容は有意義だし、「退屈な内容を繰り返しているやつら」という意味ではない。

 

週5で会社に通う会社員には、5+2=7 の繰り返し、というリズムがあるし、

フリーランスは、こなせる量・質でタスクの見積もりをとってから、それを契約して仕上げるという形であり、そのプロジェクトという楽譜には、締め切りという終止符がある。

学業にも1カ月なり3か月なりの繰り返しのリズムがある。

 

しかし、今僕が現状で立たされている(いや、むしろひざをがくがくさせながら自分で勝手に立ちあがろうとしているだけの)立場からすると、僕の前にはそのようなサイン波は無い。周期性がない。あるのは0(できなかった)か1(できた)だけだ。

 

きっと、1(できた)があったあとには、またなんらかのふりだしに立つことができて、また、「はじめる」ことができるんだろうと思うが、普通と違うのは、1(できた)にならない限り、なにもすすまない、ということだ。リズム感がない。

 

多分僕の今いる立ち位置からすると、今やっていることは、0かAllかであり、Allができなければ、それは無駄なのだ。

 

「それ」が一発勝負であったら、僕も納得してリズムよく次にすすめることだろうが、あいにく、それは一発勝負ではないし、外部からの締め切りも存在しないし、やめたくなったらいつでも投げだすことができるものである。

だからこそ、さっさと仕上げないといけないと思うし、少しでもはやく1にしてしまわねばと思うので、そういった意味で「余裕がない」

 

この事情を他人に説明することはあまりないが、そろそろ、説明を迫られる必要が出てきたようだ。しかし、上記のようなタイプの人間に説明しても、川の流れで例えたら急流なこの時間感覚の、この理由がきちんと伝わるものか疑問に思われる。