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荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

ちょっとブログを書いている余裕がなかった

(タイトル)>と思うときこそ、きっと文章は書き続けていくべきなんだろうと思う。(承前

 

……と、妙な書き出しからはじめてしまったが、あけましておめでとうございます。

きっと以前のブログの趣旨(=何でもいいから日本語の練習のためにブログヲ継続する)からしたら、おそらくこの記事この部分で書いているのは、「日本の正月文化について」であっただろうと思う。

 しかし、僕は気づいた。今の僕にそんな悠長なことをしている余裕はない。

 私生活について、ここで詳しく述べるのは流石にもともとの目的からも外れるので、ここではしないけれども、流石に「テーマ作文」だなんて筋トレ練習をしているような、スクワットや腹筋運動に精力的に取り組むほど、今の僕は暇ではなかった。と、先ほど気づいた。今日の夕方だ。

 大変呆けた人間だとは自分でも重々承知だが、しかし今の僕には余裕はない。でも、文章はやはりもっとなれる必要があるし、もっとすらすら息を飲み込むように文章構成を飲み下し、そしてこなしてさっとスマートに吐き出せるようになりたい。だから、ブログをやめる必要もないし、むしろ書いたほうがいい。キーボードをタイプしたほうがいい。公開して、突っ込まれたほうがいい。

 だとしたらやるべきことは、どうするか。

 そう、もっと直接的な訓練にすればいい。野球ならキャッチボール、バッティングの練習、そしてゲームと、テニスならサーブ、ラリー、練習試合へと。

 なので、有言不実行であることにもはや定評ができても否定できないような改変頻度だが、また、少しブログの趣旨を変えようと思う。

 つまり、なんでもいいからともかく書く、ではなく、書きたいと思ったときに書きたいことを述べる、という風に。

 

 で、今僕が関心があるのは、僕がこれからどういう風にライフプランを立てていくか(いかにそつなくこなしている体を装ってすいすいと障害をこなして(本当は格闘して)いくか、という未来について、なのだけれども、これって、以前はこのブログ上では(文章の練習のために)書かないといった「広義の個人情報」そのものなんだよなあ。ただそれってあくまでも文章の練習のために、という名目からの制約なので、別に、どの道文章の練習につなげるなら、撤廃してもいい名目な気も……こうやって自分にどんどんゆるゆるな規約になって…。

 そこんとこの折り合いはどうしようか、考え中。