荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

日本語の文章の構造の基本とやらに則って文章とやらを書いてみようと思ったらぶちあたった軽やかな壁

 昨日まではえんえんと、僕がこのブログをどのように運用するかという抱負を語った。

 そこで、今日からやっと内容らしい内容のある文章を書こうと思う。せっかくなので今日のブログは、基本的な文章の構成方法とは何かを調べ、それに則って何か書こうとでも思っていた。

 ……が、しかし、ネット上で軽く検索をかけてみた所、(僕の検索能力の問題かもしれないが、)僕が期待していたような類の、文章の構成について端的にまとめている記事は見つからないことに気付いた。

 僕が調べようとしていた文章の構成方法というのは、いわゆる主題、内容、まとめ以外に文章のパラグラフの置き方について存在しているルールのことだ。

 というのも、僕は、日本語の文章について、パラグラフを配置する順番のルールみたいなものが実は存在しているのではないか、そして相当数の人が、実際それをとりいれているかどうかはさておき、そのルールの存在を知っているのではないかと思っていた。

 端的にいえば、音楽の作曲におけるコード理論のような物を、作文についても誰かが体系的にまとめておいてくれているのではないかと、うっすら期待していた。

 

 しかし、「文章 書き方」のようなキーワードでネットを10分ほど漁った感じ、作曲におけるコード理論のような、作文におけるパラグラフ理論みたいなものは、見あたらなかった。どこかにはあるのかもしれないだろうが、おそらく、こういったノウハウ系のサイトやブログをまわってみても、かすりもしないということは、「文章を書くにはどうすればいい か?」という文脈ではあまり興味の対象にならないことなのであろう。(と今のところは仮に結論付けておく)

 おそらく、どこかには体系だったパラグラフ配置理論はあるのではないかとは思うが、 もしそういう理論そう言った言語学や論理学などの専門書を当たってみる必要がありそうだ。

 

 文章の書き方を指導するサイトや文献は数多くあるが、いろいろ眺めてみて思ったのは、日本語において「筋道だった文章の書き方を教える」というのは、あくまでも、その文章一文一文、またはせいぜい一段落に収まる程度の範囲内での論理構造や、適切な言葉の言い回しはどうすればいいか等を、詳細に指摘するものが多いということだ。たとえば、句読点をここに置くと意味が変わる、とか、パラグラフの最初に導入を、最後に結論をまとめましょう、というような指摘が多く、その人が書こうとしている文章全体の構造を見据えて、それを、抽象化(パターン化)してまとめているようなものは見当たらない。

 あるとすれば、「主張、内容(根拠)、意見」の順で並べましょう、みたいに、逆におおまかな指摘のものが多い。例えば、「この分野のこういった内容なら、文字数はこのぐらいで、最初の○○という内容には何段落ぐらい使用して、次の内容部分にはその何倍ぐらいの分量で書いて…… 」みたいな指摘は見当たらない。むしろ僕がないないねだりをしすぎなだけなのであろうか。

 

正確な文章の書き方/ IIJ技術研究所 山本和彦

http://www.mew.org/~kazu/doc/japanese.html

 

小論文・レポートの書き方 論文の大構造

http://shouronbun.com/report2.html

 しいていえばこの辺のサイトの指摘する内容は多少求めていた文章の構成方法に近いが、それでも、本ブログで僕が練習したいとおもっている文章の趣旨とはかなりずれる部分がある。

 

 まず、上のサイトは小論文・レポートの書き方をまとめてあるサイトであり、おそらく学術論文等を目的としたものであろう。僕のブログで書こうとしている文章は、論旨の明快さこそ求めてはいるが、こういった学術的な論文でよくあるような、「私はこういう根拠でこう考えました」ということを言いたいがための結果や主張が先にあるような文章ではない。

 二つ目のサイトの、内容の構成、という部分が、求めていたものに少し近いかとは思ったが、そこで述べているのは、「結論を先に言いましょう」という話を噛み砕いて一般化して述べているにすぎないので、そういう話なら、はじめに述べた「主題、内容、まとめ」の順で並ぶ文章の枠内に入るものであり、特に新たに得られた概念ではない。

 

 以上、否定語が続くような文章になり、(もし読者がいらっしゃるならば)大変恐縮であるが、まあ、とりあえず今日これを書いてみてわかったことは、案外(僕が思っていたより)文章とは自由で、オープンなのだなあ、ということである。

 ただ疑問なのは、別に日本語がどんなに言語としては論理構造が曖昧な作りになっていたとしても、そのまとまったパラグラフ同士のつながりには、他言語と比べて論理的な曖昧さがとりわけ大きい、だといったことは構造的には無いはずである。そうすると、「俯瞰的な論理構造」を解説する日本語のサイトが少ないのは、日本人でそういったことを考える人が相対的に少ないのか、それとも日本語に限らず別言語圏の人も同じくそんなことは考えたいともおもわないのか、そもそも、人類の使用する言語自体が、実はああ見えて複雑で、そう簡単にパラグラフのまとまり方(という意味での論理構造)を詳しく分析できるほど容易なものでもないのか、そのほかになにか原因があるのか、多少(……ほんの、ちょっぴり)気になる所ではある。

 

 ちょっとこれを比較検討するには、他言語のサイト等も漁ってみる必要がありそうだが、その労力を割く気力が僕にはあまりありそうにない……ので、今日はこの辺で……。