『科学の魅力』というお題のテーマ作文を書く機会があったので、ブログの方にも公開しますね。
科学は、誰かが提唱した概念を、別の誰かに継承することができる装置である。
つまり、新たに誰かが提唱した新概念が、科学的思考の範囲内で説明がつけられる概念であれば、その概念を提唱した本人以外にも共有させることができるのだ。
これはすごいことである。
なぜなら、概念自体をそっくり他者と共有できれば、提唱者以外の人間が、その新概念をベースに、次の段階のより高次の概念について、考察を行うことが可能になるからである。
二千余年の歴史の中で過去の学者たちが生涯をかけて体得した知見や概念は多岐にわたるが、科学的思考の範囲内で説明ができるものであれば、これらをすべて自分の思考の出発点として利用していい、ということなのだ。
それはすごいことである。
例を挙げよう。
21世紀を生きる我々は、地球が球体であり、昼と夜の違いが空に輝く太陽と地球との位置関係の違いに過ぎないことを「知って」いる。人々の中には影の位置から綿密に計算し、自らその結論を導きだしたアリストテレスのような猛者もいるかもしれない。しかし、それは例外中の例外であり、多くの人は子供の頃にそう教わったからそう信じているか、あるいはそれを導くための「計算」という過去の誰かが発明した納得方法を「教えてもらって」、それをなぞって納得しているにすぎない。
しかし、それなのに、我々は無意識のうちに、「地球が丸い」ことを思考の大前提にしてしまっている。アリストテレスが壮年期に到達した考え方を、現代人の小学生はみんな共有しているのだ。そう、科学という手法を借りれば、後世の我々は、ずっと、ずっと先に行ける。
科学的思考というものを人類が初めて発明した時、人類の知の蓄積速度は飛躍的に速くなったことだろう。
多数の人間を一度に巨人の肩の上に立たせることが出来、視点を共有することができるのが、科学の醍醐味の一つであり、この点は評価すべきであろう。