荷内思考開発所

ありがちなことばでありがちなことものを考えてみる

テーマ作文書いたので貼っておきます。

『科学の魅力』というお題のテーマ作文を書く機会があったので、ブログの方にも公開しますね。

 

科学は、誰かが提唱した概念を、別の誰かに継承することができる装置である。

 

つまり、新たに誰かが提唱した新概念が、科学的思考の範囲内で説明がつけられる概念であれば、その概念を提唱した本人以外にも共有させることができるのだ。
これはすごいことである。

なぜなら、概念自体をそっくり他者と共有できれば、提唱者以外の人間が、その新概念をベースに、次の段階のより高次の概念について、考察を行うことが可能になるからである。

 

二千余年の歴史の中で過去の学者たちが生涯をかけて体得した知見や概念は多岐にわたるが、科学的思考の範囲内で説明ができるものであれば、これらをすべて自分の思考の出発点として利用していい、ということなのだ。

それはすごいことである。

 

例を挙げよう。

21世紀を生きる我々は、地球が球体であり、昼と夜の違いが空に輝く太陽と地球との位置関係の違いに過ぎないことを「知って」いる。人々の中には影の位置から綿密に計算し、自らその結論を導きだしたアリストテレスのような猛者もいるかもしれない。しかし、それは例外中の例外であり、多くの人は子供の頃にそう教わったからそう信じているか、あるいはそれを導くための「計算」という過去の誰かが発明した納得方法を「教えてもらって」、それをなぞって納得しているにすぎない。

 

しかし、それなのに、我々は無意識のうちに、「地球が丸い」ことを思考の大前提にしてしまっている。アリストテレスが壮年期に到達した考え方を、現代人の小学生はみんな共有しているのだ。そう、科学という手法を借りれば、後世の我々は、ずっと、ずっと先に行ける。

科学的思考というものを人類が初めて発明した時、人類の知の蓄積速度は飛躍的に速くなったことだろう。

多数の人間を一度に巨人の肩の上に立たせることが出来、視点を共有することができるのが、科学の醍醐味の一つであり、この点は評価すべきであろう。

雑考

以前ならブログか何かに文章でまとめていたであろう様々なことの感想を、どこにも表明しなくなってから久しく経ちました。

 

それでいいと思ってはいたんですが、人間の忘却力はなかなかのもので、自分も例外でなかったようです。
以前自分が何を考えていたかすら、どんどん忘れていくということに気付いたので、ブログを再開しようかなあ…と考えてはいます。

 

以前だったら、「軽いノリのエンタメを作っている側の人間が、こういう調子なのは如何なものか…」と思って、公私混同しないように踏みとどまろうとはしていたんですけれど、そういうところを含めて自分だよなあ…と思うので、平常運転のノリでの執筆に戻ろうかなあ…と思っている次第ではあります。

読んでる漫画近況報告的なことを、しようかなと思って

Y十M柳生忍法帖 6巻まで読みました。 おもしろい!!

仮面ライダー平成ジェネレーションズFinal みてきました。 熱い!おもしろい!

fate zero みはじめました。 おもしろい…!

 

面白いことはよきことかな

 

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(※ここから少々のネタバレ失礼します)

 

少し雰囲気が違う作品ですが、

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零落(著:浅野いにお) を読みました。 昔は作者のファンだったなあ、と、今は変わったなあ、と。

こんにちは。

久しぶりに本屋さんで浅野いにお氏の最新作、『零落』を手に取り、購入して読みました。

 

昔は好きだったけれども、今読むとその感覚が分からなくもないものの、といっても、完全に同意することは出来ず、おそらく自分が、「変わったのだなあ…」と思い気付かされました。

 

半分ぐらいわかるんですが、半分ぐらいはわからないといいますか。

以前はわからない感覚が合ったらわかろうと理解を試みていましたが、

いまの感覚に忠実なところを言えば、

描かれている気持ちのうち、わからないものは、多分今の自分にはわからなくてもいいものだから、わからないものはわからないままでいいかな、という感じ。

 

それでは。

あけましておめでとうございます 2018

2018年になりましたね。

どこにも思ったことをかけないというのはなかなかこたえるということで、

今後はブログにいろいろ書いていこうかなーと思います。よろしくお願いします。

若さゆえの勢いという価値

今年、2017年は自分にとって二十代前半に突っ走ったことの尻拭いをしている年でした。

私がいまいち今うまくいっていないのは、「本来40代50代になってキャリアをつけて業界での立ち位置を身につけた人」がようやく手にできる仕事、ポジションを若いうちからいきなりショートカットしてやろうとし、それゆえの信用が築けてないから、なのですが、

当時の直感よろしく、「今突っ走らなくて、『着実に』やろうとすると、できなくなる」未来がなんとなく見えました。それが故突っ走ってみたのです。

 

そして、その直感はおそらく正解でした。

二十代後半にして、創作意欲、もといその源泉となる想像力が衰え始めました。

いまからゼロからそういうことを始めようと思うのだろうか、とおもえば、まあ動かないだろうな、という感じがするのです。

 

何で勢いらしい勢いがここまで欠如してきたのかはわかりませんが、「好きなことを全力でやっている」イメージとは今の自分は申し訳ないですがかけ離れています。

 

今はそこまでの勢いがないので、

 

好奇心と想像力、創作意欲は何もしないとどんどん落ちるもので、そのことを身をもって実感できたのは収穫だったと思います。

 

想像力をたくましくする環境って、身の安全が確保されつつ、精神的な充足が完全に満たされていない環境、だと思うのです。目の前を見ていなくてもとりあえず死なないからこそ目の前以外の仮想世界をリアルに想像しても大丈夫、だからといいますか。

 

いまの自分の場合は、身の安全がない以上、仮想世界に逃避しているとどんどん本当に身の危険が迫ってくるので、この世の中は自発的に何かしらアクションをとらない限り、本当にこちらを殺そうとしてくるということをよく知りました。アクション取れば大丈夫なんですけど。

 

よくがむしゃらになって動けばなんとかなる、という話を聞きますが、そのひとががむしゃらになって動ける性格かどうかは「なってみないと何とも判断できない」ので、なんともいえません。あと、がむしゃらになるというのは現実と向き合う、ということなので、現実と向き合っている間は想像世界の思索に費やすことはできません、そういうことです。

 

白状しますとここ半年一年、「自分のための趣味的想像思索や物語づくり」をほとんどしていません。子供のころは、「毎日異世界を想像しないで生きているとか、何が楽しくて生きているんだろう?」と不思議でしたが、いまとなっては、私自身が子供のころ不思議に首を傾げられる対象の「不思議な」大人となってしまいました。

 

 

あれ、年齢関係ないのでは…???

 

どっちかといえば、貧すれば鈍する 案件だなあ、これ